往復書簡第13便 名無しだって良いじゃない

 講座はお疲れさまでした。無事に終わって何よりです。

 

実はあの日、私は娘を「みんなに見本見せて欲しいから、一緒に来てくれる?」と誘い出してたんですよ。だから出番が来るまでの間はずっとゴネてまして。でも山上さんのリードに乗って徐々に動き出して、「絆の棒」をやる頃にはすっかり楽しんでいました。さすが保育園で場数を踏んでいるだけあって、すごい誘導力だと感嘆してしまいました。それと「ハンバーグ」は秀逸ですね。家庭や親子クラスでも早速試してみたのですが、子供たちはとても気に入った様子です。システマには内観力を養う静的なワークもあるのですが、元気な子供たちには向かないんじゃないかと思っていたのですよ。でもあの「ハンバーグ」を挿入すると、とてもやりやすくなると言うのは大きな発見でした。

エネルギーを発散させて、身体能力を高める。

これまでそういう方向性でやってきた親子クラスに、新たな展開が生まれそうな気がします。

 

それと呼び名について。これについては私も悩まされてます。もともとライターですし、システマ本も何冊か上梓させて頂いていますので、役所に提出する書類などには「文筆業」と記入していますが(笑)

例えば誰かと会話している時など、もう少しちゃんと説明しないといけない時には「自分でも何やっているかよく分からないんです」と正直に答えたりしています。

 

ただ私、呼び名については結構どうでも良いんじゃないかとも思うんですよね。ネーミングやカテゴライズって、要は「それ」と「それじゃないもの」の間に境界を作るってことですから。それを定めた瞬間に、膨大なものが抜け落ちてしまうような気がするのです。漫画「陰陽師」で安倍晴明が「名付けそのものが呪なのだ」みたいなことを言っていたかと思いますが、それってそういうことなのではないかと。

 

私がやっているシステマに関しても、英語で言うなら「The System」。和訳するなら「仕組み」「理」あるいはカタカナで「システム」といった意味ですからね。これはなんとなく通称として呼ばれたのが定着しただけで、正式名称というわけではないのです。今に至るまでミカエルがそのまま放置しているのも、一つは名称をつけることで必然的に生じる「境界」を避けてのことではないかと思うのです。

 

私自身もまた、こうした境界の曖昧なゆるやかな繋がりってのが、これからのあり方なのではないかと思っています。こうした繋がりが、今回の私と山上さんみたいな、やっていることに共通点があるのかどうかも良くわからない2人が仲良く一緒に何かをやったりするような機会を生むのではないかと。

 

 

で、そういう人達が仲良く楽しげにわいわいやっているところに、興味を持った人が集まってくる。そういう風にムーブメントってのは本来広がっていくのではないかと思うんですよね。だからこれからもずっと「あなた、なにやってるんですか?」と聞かれて悩み続けるのはあながち悪いことではないんじゃないかと思います。


その辺のことは、今後のテーマというところにも繋がってきます。

これについては実は私、もう確固たる答えが自分の中にあるのですよ。

それは「人にあれこれ言う前に、自分自身を磨く」ということ。

どんなに立派な主義主張や提言であろうと、その人自身が地に足の着いた確かな人間でない限り、信頼することはできません。逆に心も身体も整った確かな人間であれば、主義主張など口にせずとも人がついてくると思うのですよね。となると、やることと言ったら自分自身を見つめて磨いていくということだけで良いのではないかと。怠け者の私はそう思ってしまうわけです(笑)

 

そうしていった先に、もう少しみんなが当たり前のこととして自分の身体に向き合う社会になれば良いな、と思っています。身体と言う基準ができれば、頭だけで考えたような理屈に振り回されることも多少は減っていくでしょうからね。ただそれが実現するのは何十年、下手したら百年単位で先の話となるかも知れないので、今自分にできることを一つずつ、やっていくしかありません。

 

では具体的になにをやっていくのか。それについてはおそらく死ぬまで悩み続けることと思います。必要なことはその時々で常に変化していくことでしょうからね。それはつまり、私はいつまでも常に誰かの知恵や助けを必要とし続けるということもまた意味するのです。

 

というわけでこの出会いを機に、これからも山上さんから色々と学ばせて頂ければ幸いです。講座の続編や他の企画など、今後も何かとお世話になる機会があるかと思いますが、なにとぞよろしくお願いします!

 

 

北川