往復書簡2014 第4便 「啐琢の機(そったくのき)」

北川さま

 

「妖精さん」ですか。北川さんの口からそういう言葉が出てくるのがちょっと意外でした()。私もファンタジー好きなので、そういうワーディングは好きですよ。


北川さんの言う「妖精さん」の役目を担う大人の人を、私は「ナナメ上の大人」と呼んでおりましたが、そういう正統な立ち位置にいるわけでは無い大人の存在というのは子どもたちにとっては大事ですよね。それは言ってみればケストナーの『飛ぶ教室』に出てくる「禁煙さん」のような存在です。(『飛ぶ教室』って読んだことありますか?名作です)

 

北川さんの言う「複数の世界に身を置く」ということには私もまったく同意です。私もよく講座に参加してくれた人たちに「顔は三つくらい持ったほうが良い」ということを言っておりますが、やはり一つの世界だけを軸にしているとそれが揺らいだときにキツイし弱い。

「一つの軸を中心にして動く」「一つの物語を中心にして生きる」というのは、非常にシンプルで誰にでも分かりやすくて取り扱いもしやすく、それはそれで決して悪いわけではありませんが、その反面、決定的な弱さを抱えることにもなります。


つまりその「一つの中心」を崩されたときに、すべてが崩壊してしまうと言うことです。武術であればその軸を取られた瞬間に倒されてしまうでしょうし、人生であれば不幸のどん底から立ち上がるすべを見つけることができないかも知れません。でも軸がいくつかあれば、一つの軸が崩れたときにもそれ以外の軸を使ってなんとか保つことができます。


自分の中にいくつかの軸を立ち上げて、それらの軸が有機的につながりながら相補的な在り方をしていけば、生物的にも非常にタフでいられるはずです。それは一つの軸に拠って生きる生き方に比べれば、ちょっとハンドリングが難しかったりしますけれども、でも圧倒的にいろんな場面に対応できる。とくに価値観の多様性がますます広がる現代においては、非常に重要なことだと思います。

 

北川さんが出会った絵の先生はある意味、「世の中にはいろんな軸の立て方があるのだ」ということを教えてくれた先達だったのですね。それがたとえ完全に個人の主観的な見解や感情であったとしても、北川さんがそこで感じた「違う軸の存在」は非常に大きな影響があったわけですから、良い出会いであったと言えますね。

私もできればそういう存在でありたいと願っている人間の一人なので、北川さんと同じく「妖精さん」志望の人間です。

 

「打ち切りの技術」というのは、たしかに野口整体の中で語られる技術ですが、これはある意味、野口整体の中でも秘伝的と言いますか奥義的なものに当たるかもしれませんね。野口先生の『人間の探求』という本の中に「啐琢の機(そつたくのき)」という言葉が出てきますが、これは卵からヒナが孵る「啐」という字と、その卵を親鳥が外からつつく「琢」という字の組み合わせで、つまりヒナがまさに卵から出ようとして卵の殻を内からつつくタイミングで、親鳥が外から卵をつつくというその機の妙を説いている言葉です。親鳥が卵をつつくタイミングは、早すぎればヒナが育っていないし、遅すぎればやはり衰弱してしまうので、早すぎても遅すぎてもいけない大変シビアな絶妙さが求められるわけですね。そして野口先生は、何かを打ち切るときには、その「啐琢の機」をつかまえられなくてはいけないというのです。

 

その技術は私自身もまだまだ修行中ということもありますが、言葉にして語ることはなかなか難しいですね。いわばある種の「不立文字」の世界ですからね。「今でしょ!()」というのは、これはもう説明できない。「今でしょ!」という瞬間に、「え?何がですか?」とか言ってしまう人は、「ああ、もう遅いね」ということになってしまう。

 

ですがまあそれでもあえて打ち切りのタイミングを語るとするならば、「自発的な動きが出始めた瞬間」や「終わりを空想させる心理指導」として使うことができるでしょう。いずれにしてもその扱いはなかなか難しく、まさに高等技術ということになりますが、それだけにうまく活用できたときには、我ながら「ヨシッ!」と思って嬉しくなりますね。

 

ケンカであれば、それはいつ終えるか、いつ止めるかという介入のタイミングになるかも知れませんね。子どもたちだけでうまくケンカを収められれば良いですが、それができないときに、やはりそこにちょっと大人の手助けが必要になる。ですがそこで行なわれているプロセスを邪魔してしまってもいけないし、大人が上段から裁いてしまうようなこともいけない。良い「機」に、良い「度」でもって関わっていくことが大切です。

 

でもそこらへんは、ひょっとしたらシステマのような武術的なメソッドの方が技術や知恵があるのではないですかね? システマの中には、ファイトの際にそのような「打ち切りの技術」と言いますか「仲裁の技術」のようなものはあるのでしょうか?



RYO